もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。
人の魂は主のともしびであり、人の心の奥を探る。
戒めはともしびである、教は光である、 教訓の懲らしめは命の道である。
「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。
そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。
キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
賢い者はこれを聞いて学に進み、 さとい者は指導を得る。
これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。
こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
わたしたちは主を知ろう、 せつに主を知ることを求めよう。 主はあしたの光のように必ず現れいで、 冬の雨のように、わたしたちに臨み、 春の雨のように地を潤される」。
わたしは目しいを 彼らのまだ知らない大路に行かせ、 まだ知らない道に導き、 暗きをその前に光とし、 高低のある所を平らにする。 わたしはこれらの事をおこなって彼らを捨てない。
ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。
イエスが語っておられた時、あるパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので、はいって食卓につかれた。